第189回 2009.07.13
ある社長の夢
私は今、PHP研究所出版の「私の夢会社の夢」という本を読み返しています。
この本は以前週間日誌114回で紹介しました、坂爪捷兵様からプレゼントされた本です。
すばらしい内容ばかりですが、私が4・5回は読み返したかと思いますが、(株)中島工務店・中島社長の“夢”を紹介致します。
“物心ついたときから広い世界へ出たかった。特に外国に行きたかった。
ひょんな事からブラジルへ行った。30歳の誕生日だった。
知人なし、言葉できず、知識なし、滞在1週間だった。
それでも何とかサンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリアと回り、岐阜県人会の皆さんと知り合った。それ以来、今でも深い付き合いが続いている。
広くて肥沃な大地、温暖な気候、ブラジル人の日本人への信用などを知るにつけ、ここで事業をやりたいと思った。ここでやると心に決めた。
それから33年あまり、彼の国で事業をやるために、経験、人材、資金を蓄えてきた。
研修生も採った。身元保証人にもなった。
63歳になった今、多くに事業をはだてて、それなりに形になってきた。
経験、人材、資金を得たが、日本経済の破綻により、建設業はかつてない変革をし、厳しい時代に入った。
社長が会社を簡単には抜けられなくなった。しかし諦めない。
70歳までには全てをバトンタッチし、一切を投げ捨ててでも、体一つでもブラジルへ行きたい。そして百年前にブラジル移民船笠戸丸で渡った先人達のように、自分の社会を創りたい。あの広くて肥沃で温暖な国で、農業や林業を中心に、未来永劫ゆったりと生きられる社会を創りたい。
車や機会やコンピュータのための社会ではなく、金儲け主義の社会ではなく、動物としての人間が、動物として生きられる息の長い社会を創りたい。
そのためには百歳まで元気で、二度とない私の生涯を精一杯生きたい。”
以上ですが、いかがだったでしょうか。この情熱の物凄さ。百年に一度の大不況と言われている今現在。私はこの“社長の夢”にパワーをもらったような感じが致します。
「ある社長の夢」を見ている方はこの記事も見ています
-
週間日誌183回で紹介しました元同僚のことですが、彼はリサイクル品の販売をしています。 去年から ...…
-
先日、新幹線を使って倉敷に行ってきました。 私は新横浜から自由席に乗り、感じたことがあります。 ...…
-
先日友人とお酒を飲んでいて、いろんな話をしていましたところ友人が、 “カマスと小魚の話を知ってい ...…
-
私が学生時代の先生の中で、一番思い出に残っている男性の先生から電話がありました。 その先生には、 ...…